「思い悩むな」  08.09.28
             マタイ 6:25〜34
 主イエスは、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈る
ことを教えてくださいました。この祈りは、必要な糧をいつも
与えてくださる神を思い起こさせ、神に信頼して生きられる
幸いに気づかせてくれます。
 日用の糧は、贅沢で豪勢なものではありません。毎日の
食べているものです。それはなくてはなりませんが、普通に
無理なく手に入るものです。私たちは、特別なものを祈り
求めることはあるでしょうが、そのような日用の糧を、心を
込めて祈り求めることをしているでしょうか。現代の日本に
住む私たちにとって、日用の糧を求めることは、食前の祈りの
時でもない限り、切実な祈りになりにくいのではないでしょうか。
それは、主イエスの弟子たちも同じだったでしょう。
 「いったいあなたの持っているもので、いただかなかった
ものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただか
なかったような顔をして高ぶるのですか。…あなたがたは…
勝手に王様になっています。」(Tコリント4:7〜)と聖書は
言います。私たちは、日用の糧を神さまに与えられているのに
気づかないで、愚かにも王様のようになっていることがあります。
 そこには、平安はありません。人は、糧があっても悩み、
なくても悩むからです。けれども、主の祈りを心から祈る時に、
愚かな王様から我に帰ります。神から必要を与えられ、養われ、
守られている幸いな神の民である自分であることに気づきます。
 この「日用の糧」には、「次の食事」と言う意味もあるそうです。
 ここで祈っているのは、ずっと先の話ではなく、今の瞬間でも
あります。
 今のひと時ひと時を生かしていてくださる父なる神に思いを
向けるのです。そうやって、思い悩むことから解き放たれて、
天の父なる神に信頼して生きることが起こります。
 主イエスは、人が神さまに正しく向き合うことを願って
おられます。「あなたは、神の民とされているのだから、天の
父なる神に、遠慮なくこう祈ったら良いし、こう祈るべきだよ」と
おっしゃいます。